第六段:我が身のやんごとなからんにも

こんにちは、デスクワークラボの吉井です。

徒然草はもっと実用的な文章が多かった記憶がありますが、最初は吉田兼好さんもエンジンがかかってなかったのでしょうか?

人生観に関する文章だと、仕事のブログで取り上げる必要性がないのですが、まぁ最初から行き当たりばったりですので^^とりあえず行けるところまでは行きます。

原文

我が身のやんごとなからんにも、まして、数ならざらんにも、子といふものなくてありなん。

前中書王、九条太政大臣、花園左大臣、みな、族絶えん事を願ひ給へり。染殿大臣も、「子孫おはせぬぞよく侍る。末のおくれ給へるは、わろき事なり」とぞ、世継の翁の物語には言へる。聖徳太子の、御墓をかねて築かせ給ひける時も、「ここを切れ。かしこを断て。子孫あらせじと思ふなり」と侍りけるとかや。

現代語訳(適当です)

自分自身が高貴であっても、ましてや一般の人であっても、子というものはなくてよいだろう。

前中書王、九条太政大臣、花園左大臣は、皆、一族が絶えることを願われた。染殿の大臣も、「子孫がいらっしゃらないのが良い。子孫の出来が悪いのは、良くないことだ」と、世継ぎの翁の物語に書いている。聖徳太子が自分のお墓を築かれた際も、「ここを切れ、ここを断て、子孫がいないと思うだろう」とおっしゃったとか。

感想

子どもを作るかどうか、という話で、結構深い問題です。

が、たったの数行で終わっているというのが徒然草っぽくて良い感じです。

私自身は子どもは授かりものというか、出来たら産んで欲しいと思いますし、人間も動物なので、種の保存は生まれてきたことの使命の一つだとは思っています。

ただ、絶対に子どもを作らないといけないというほどでもなく、子どもを作りたくない方はそれで良いし、体質的にできない方もいらっしゃるので、それを苦にしないといけない世の中は窮屈だな、と思っています。

「みんな違ってみんないい」という、いい加減な感じです。

「末のおくれ給へるは、わろき事なり」

これは私はあまり賛成ではありません。

子どもには子どもの人生があるので、親があまり期待するのはどうか、と思っていますし、ましてや子どもの出来を気にして子を作らない、というのは「子どもが自分の名声を汚すのが嫌」という感じに読めて、ちょっとどうかな、と思います。

子どもの出来が悪かったとしても、親の責任という面が結構ありますし。

そもそも、何が出来が良いのかというのも、自分の価値観だけでは測れないとも思います。

まぁでも、昔の貴族は家名が大事で、自分自身の子どもが出来なかったら一族から出来の良い子を養子にして家を継がせる、ということを普通にやっていたと思われるので、その頃の常識からしたら普通の考え方なのかもしれませんね。

 

書こうと思うといろいろまだ書けそうですが、仕事のブログっぽくなくなるので、第六段はこのぐらいにして、次に進むことにします。