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第十三段:ひとり、燈のもとに - デスクワークラボ

第十三段:ひとり、燈のもとに

原文

ひとり、燈のもとに文をひろげて、見ぬ世の人を友とするぞこよなう慰むわざなる。

文は文選のあはれなる巻々、白氏文集、老子のことば、南華の篇。この国の博士どもの書けるものも、いにしへのは、あはれなること多かり。

現代語訳(適当です)

一人で、灯りの下で書物を広げて、知らない時代の人を友人とすることは、とても愉しいことだ。

書物は、文選の中のしみじみとした巻や、白居易の文集、老子や荘子など。この国の知識人達が書いたものも、昔のものは良いものが多い。

感想

これは私もよく分かります。

そもそもこの徒然草を書いているのも、昔の書物を読むのが好きというところがあります。

本来は、徒然草をフックにして、仕事について思うところを書こうという目論見でしたが、今のところ、その意図はほとんど達成していませんが^^

高校生の頃は、「人生のうちに読める本の数は限られているので、昔から今になっても残っているものは、いいものに違いないので、古典的な書物ばかり読もう」と考えていて、夏目漱石とか、海外ものだとドフトエフスキーとか、そういうものばかりを読んでました。

今思えば、ただの文学かぶれ、というところもあります。

漱石にしても、ドフトエフスキーにしても、小説、特に文学作品というのは人間の懊悩というか業を描いているので、人生経験の少ない高校生が読んでも仕方がないというか、よく分かってなかったのですが、大人になって読み返してみた時に、「自分って成長?したんだな」ということが良く分かって、それはそれで良かった面もあります。

とはいえ、大人になって読むと、自分はそんなに深く悩まないタイプの人間だということも分かるので、結局は軽い内容、というか深く悩まずに生きている市井の人間を描いた本の方が好き(ディケンズのクリスマスキャロルとか、山本周五郎とか)ということも良く分かってきました。

吉田兼好の時代は、書物の量が現代よりも断然少なかったはずなので、同じ本を読んでいる人が同時代にたくさんいたはずで、書物に対する話もいろいろ出来たと思われ、それはそれで羨ましい気もします。

「コンテンツを楽しむ」という行為については、巻物しかなかった時代から、今はスマホで何でもできる時代になって、時代が様変わりしたな~、という感じがしますね。

自分自身も、本を読む習慣がほとんどなくなって、スマホやタブレットを見ている時間が増えてきました。

時代が変わったということで、まったく悪いことではありませんが、ネットの通じない環境に行って、寝転がりながらじっくり本を読む時間を作りたいな、と思う時もあります。

(まぁ自分で時間を作って行けば良いだけの話ですが)

あと20年ぐらいは働いて、65歳ぐらいからは郷土史家というか、地元の古い文献などを読んで伝えるようなことをしたいな、と思っていますが、そうなれるように、今の仕事も頑張ろうと思っているところです。

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