第五段:深う愁へに沈める人の

こんにちは、デスクワークラボの吉井です。

徒然草も、やり始めると1日のルーチンになってきました。

1日を原文、1日を現代語訳、1日を感想に充てて1、2日予備日を設けると、大体5日で一つの段が終わる計算になります。

240段以上あるので、完成まではあと3年ぐらい・・・そこまで続くかな、という気もしますが、誰に言われて始めたわけでもないので^^淡々と続けていきたいと思っています。

原文

深う愁へに沈める人の、頭おろしなどふつつかに思ひとりたるにはあらで、あるかなきかに、門さしこめて、待つこともなく明し暮したる、さるかたにあらまほし。

顕基中納言の言ひけん、配所の月、罪なくて見ん事、さも覚えぬべし。

※「深う」が「不幸」になっているものもあります。

現代語訳(適当です)

深く悲しみ嘆いている人が、剃髪などを軽率に思い立ったのではなく、存在しているのかいないかという状態で、門を閉ざして、期待することもなく日々を暮らしているのは、そのようにありたいものだ。

顕基の中納言が言った、流罪の地で無罪の身で月を見ている、ということは、まったくこういうことだったんだろう。

感想

この段はあまり兼好法師に賛成ではありません。さすがに私も、ここまでは枯れていない、というところでしょうか。

人生において、「深く悲しみ嘆く」ということは、誰しも何度かあるんじゃないかと思いますが、そんな時に引きこもってしまうとずっとそのままになってしまうので、あまり良くないと思います。

少しずつでも外に出るようにして、外の世界と触れ合って、新しい楽しみを見つけていきたいものです。

「引きこもらない」というのは、生きる力の中で重要な部分だと思います。

そうは言いつつ、外に出る気分にならないものを無理やり連れだすのも、というところもあり、実際問題としてはなかなか難しいですが。

「無実の罪で流罪になって、月を眺める」というのも、あまりピンときません。

顕基中納言という方は、おそらくその時の心境を和歌か何かで詠んでいたのが残っているんじゃないかと思いますが、和歌でも詠むぐらいの余裕があれば良いとは思います^^

上流階級の「俺って風流だぜ」アピールとも受け取れ、まぁそれだったら事態が深刻じゃないので良いですが^^

無実の罪で裁かれておとなしくしているよりも、「やられたらやり返す、倍返しだ!」の方が心情的に分かりますが、それも一般庶民の考え方、ということでしょうかね。

まぁでも、今でも組織で働いている人で、「私は悪くないのに、責任を取らされた」ということもあると思います。

徒然草の時代と違って、現代は内部告発も簡単にできる時代で、いい意味では透明性が高い、悪いことがしにくい時代で、悪い?意味ではちょっと窮屈な時代です。

無実の罪で誰かが犠牲になる、ということも必要悪として存在は否定しませんが、時代に適合して透明性の高い世の中になっていかないといけないと思います。

ちょっと徒然草からは脱線してしまいましたが、この段は貴族の世界のお話で、一般庶民のお話ではないな、という感じですかね。

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