詳しい経歴について

これまでにどのような経験をしてきて、現在の仕事をしているのかを書いてみました。

大学時代

大学は、文学部です。

典型的な私立文系で、数学が全然できなかったのです。

文学部で専攻を選ぶ際は、何かを極めたいという感じでもなく、文化人類学、社会学、社会心理学を横断的に学ぶ、人間科学専攻というところにしました。

社会人になって、ITのシステム作りに関わるようになってからは、「情報システムは、会社の中の社会システムを作ることなんだな」と感じることもあり、大学の時の勉強も今の仕事にだいぶ役に立っています。

文学部なもので、おぼろげながらマスコミ関係を志望していたのですが、大学の先生から「君は人が良いから、人間の恥部をネタにするようなことには向いていない」と言われ、では広島に戻って地方公務員になろうかと思ったら、「公務員は仕事が面白くないよ」と言われ、それで普通の会社に就職することにした、という感じです。

とはいえ、両親が自営業で、普通のサラリーマンにあこがれもあったので、割と素直に受け入れて、「何か製品を作る会社が良い、見た目ですぐに分かる製品が良い」ということで、スポーツ用品メーカーに就職することになりました。

会社員時代

1996年に就職し、英語がそれなりにできた、ということで、海外の製造子会社やベンダーへ製品を発注し、輸入する、という調達部門に配属されました。

配属当初はあまり仕事がなかったのですが、バブル崩壊の影響が遅れてやってきて、入社半年後にリストラがあり、入社当時は6人いた部署が4人になるという事態が発生しました。

新入社員でまだ仕事もよく分かっていないのに、1.5人分の仕事をすることになり、朝9時に出社して夜の12時に退社する、という日々が続くようになります。

今から思えばちょうどWindows95が出た直後で、入社時には部署に2台しかなかったパソコンが、一年後には一人1台になった、というタイミングでもありました。

タイプライターを使って英語の文書を作るのですが、タイプライターはカーボン紙でバチバチタイプしていくため、入力ミスをしたらやり直しがきかないのです。同じ文書を何度も作る羽目になることもあり、「こんなことはやってられない」ということで、まずは発注書をエクセルで作れるようにしよう、というところから、ITの道に入っていきました。

最初は単純にエクセルに注文内容を入力していただけだったのですが、数量と単価を掛けたら合計金額になるんだな、というところから、「商品名を入れたら、単価が自動的に出るようにしよう」とエクセルの関数を使いはじめ、「発注数も自動計算できるんじゃないか」というところから、エクセルのマクロ(VBA)を勉強して発注数の自動計算から発注書の発行、発注済未入庫数の自動計算・・・と、自分でシステムを組んでいきました。

若かったので会社のルールもあまり分かってなく、勝手にやっていったという感じですが、当時の上司に自由にやらせていただき、(当時はいろいろと衝突をしましたが)今となってはとても感謝をしています。システムを作っていく上でたくさん失敗もしまして、廃番商品を大量に発注してしまって倉庫に届いた時にびっくり、ということもあったり、よく我慢していただいたと思います。

部署に4人しかいない中で、そのうちの一人の方が産休で一年間お休みになったりで、ひたすら仕事をしていたという感じの日々でしたが、その方が産休明けで帰ってきた時には、定時で帰れるようになる日が多くなりました。

システム化による業務削減というのも実感しましたし、システムで計算させることによって在庫の削減にもつながり(人間が計算すると、どうしても安全方向に振れる)、手作業をシステム化することの効果を目の当たりにしたことが、今の仕事につながっています。

6年間調達部門で働いた時に、「これ以上はやることが無いな」と思い、上司に話をしたところ、企画部門(マーケティング)に異動をさせてもらいました。

当時は営業の力が強く、最初は営業の言う通りにやるというスタンスでしたが、外国のブランドのOEM商品の取り扱いもあり、そのブランドの現地法人に販促企画を承認してもらいに行くと、販促企画にダメ出しをされることが多く、そこで初めてマーケティングについて学びました。

やはり外国人で日本法人に来ている方は優秀な方で、彼に承認してもらうためにマーケティングを真剣に学習した、という感じです。

後年、営業に異動した際に、自分が作った販促物がまだお店で使われているのを見た時は、やはりきちんと考えて作ったものは残るな、ということがよく分かりました。

企画部門に異動して3年ほど経った頃に、小売店とFAXでやり取りしている注文情報を電子化できないか、という取り組みがスポーツ業界で始まり、会社の代表として業界団体に出席するようになりました。この時に、B to Bサイト(スポーツ店がネットで注文ができるようにする)の設計や、EDI(問屋さんと電子データで注文情報をやりとりする)の運用等を経験することができました。

また、会社で新しく受注センターを立ち上げることになり、受注センターの長として女性10人ぐらいをまとめるという、組織運営も経験することができました。

受注センターでは、毎年2~3人は必ず人が入れ替わるため、最初はとても苦労しましたが、業務の標準化に取り組むことによって、離職率も低下しましたし、メンバーのスキルも向上したりと、標準化の効果を体験できました。

受注センターを4年半ほどしたころ、家庭の事情で実家に戻らないといけなくなり、会社も辞めようかと思ったのですが、温情人事で広島の営業所に転勤になりました。

広島の営業所では、四国のスポーツ店・競技団体向けの営業をしましたが、営業を経験できたのも良かったです。

ただ、スポーツ業界は基本的に小学校高学年~高校生がメインの消費者で、少子化の流れで業界が縮小する様子も見て、営業としては守りの営業が多かったです。スポーツ店の廃業等の後ろ向きな話も多く、仕事のモチベーション的には下がっていました。

40歳をちょうど過ぎたころに、大学の先生から「うちの学生で、スポーツ業界へ就職したい学生がいるので、話を聞いてやってくれ」という話がありました。

大学の食堂で、その学生さんが、「自分はずっとスポーツをしていたので、スポーツに関わる仕事がしたい」ということをキラキラした目で語るのを聞いていると、「自分にはもうこんな情熱は無いな・・・」ということがヒシヒシと感じられて、帰りの車を運転している際に、「あと20年、情熱の無い状態で仕事をするのは勿体ない、何か新しいことをしないと」と、退職を決意をしました。

特に何かやりたいことがあったわけではありませんが、とりあえず環境を変えようということで、会社にも話をして、半年間の引継ぎ期間を作って、2015年3月末に円満退社させてもらいました。

退職してから起業に至るまで

退職をして何をしようか、と考えた際に、営業で出張がちだったこともあり、子どもときちんと向き合っていなかったな、と思い、半年間は働かずに子育てをしてみよう、と、娘のお弁当を作ったり、習い事の送り迎えをしたりしていました。

半年が経って、そろそろ働こうと思い、リクルート等の就職エージェントに登録をしました。職を選ばなければすぐに働き先は見つかるだろう、と思っていましたが、ほとんどの会社で書類選考で落ちるという経験をしました。やはり、40歳過ぎて定職についていない人の評価というのは、限りなく低いです。

「これはどこかに就職するというよりは、自分で何か商売を始めないといけない」と思い、起業の方法に関する本を読んでいたところ、「ブログで趣味を発信して、それを商売にしている」という本を読んで、文章を書くのは好きなので、これが合っているかな、と思い、ブログを始めました。

最初は、自分の趣味の歴史に関するブログを書き始めたのですが、かなりマイナーな事件を取り上げて書いていたので、アクセスが全く伸びませんでした。書いている本人は、いろいろ調べながら書いていて面白かったのですが、WEBマーケティングのことを知れば知るほど、これは仕事にはならないな、と思い3か月でやめました。

多くの人が困っていることを取り上げないと、と思い、自分のスキルを棚卸して「エクセルのテクニック系のブログにしよう」と、2016年1月に前身の「創作エクセル工房」というブログサイトを立ち上げました。

起業後の歩み

エクセルのブログにしてからは、まだその頃は「パソコンのテクニックを分かりやすく書く」というブログが少なかったこともあり、SEO(検索エンジン対策)も意識していたので、面白いようにアクセスは伸びていきました。始めて1年で、月間15万PVぐらいにはなりました。

ただ、アクセスは伸びるものの、肝心な収益の方はさっぱりで、「エクセルのことを分かりやすく書けば、エクセルを教えて欲しいという人が問い合わせてくるだろう」というぐらいの曖昧な設計だったので、今思うと甘いと言わざるを得ません。

始めて半年経ったぐらいに、「これはアクセスは伸びるけど、収益化はほど遠いな」と思い、やはりリアルな商売にしよう、ということで、県の商工会連合会が主催している創業セミナーに参加しました。

そこで、ミラサポという制度(中小企業から商工会や商工会議所にIT関係の相談があった際に、無料で専門家を派遣する制度。専門家は国からお金をもらう。良い制度だと思うのですが、不正が横行したようで、今は無くなりました。)を教えてもらい、その専門家として採用してもらいやすくするように、地元の商工会議所に登録することになりました。

また、WEBでのエクセルの講師というのも単価が安いので、顧客管理とか在庫管理とか、小規模事業者が困っていることを商材にしたら、というアドバイスも貰いました。

顧客管理や在庫管理は前職で実際にやっていて、かなり自信もあったため、そういった記事をブログに書いてみたら、それなりに当たって、そこから顧客管理や在庫管理のエクセルファイル作りの仕事が来るようになり、しばらくはエクセル職人として生計を立てていました。

地元の商工会議所に登録をしたら、商工会議所青年部からの誘いを受けて、その頃は「誘いがあったものは何でもやってみよう」という気持ちでしたので、青年部に入会しました。

青年部に入会すると、地元の祭りの手伝い等の雑事?がどんどん舞い込んできて、自分が生まれ育った街は、地元の中小の商工業者が支えていたんだな、ということが良く分かってきました。

そこで市役所との繋がりもできて、市役所の補助事業に協力することになり、その際に「ITコーディネータ」という、中小企業のIT化を支援する資格があることも知りました。そこでITコーディネータ広島の方に誘われて、ITコーディネータの資格を取得したのが2018年初のことです。

ITコーディネータ取得後

ITコーディネータを取得後は、所属するITコーディネータ広島で市や県などの事業者支援事業を請け負うこともあり、コンサルティング業務が多くなってきました。

最初は「コンサルタント」と名乗るのも面映ゆかったりしたのですが、実際に事業者さんの支援をしていると私が力になれることも多いため、今ではITコンサルタントとしての仕事が板についてきました。

「コンサルタント」という職業は、名乗ってしまえば誰でもなれる職業です。

それだけにコンサルタントの質はピンキリで、たまに「なぜこんなことを教えていたんだ・・・」と、前に支援していた方に対して腹立たしく思うこともあります。私もトップ中のトップとはいかないものの、小規模事業者への支援では、かなりちゃんとしている方だと感じます。

(私自身も小規模零細の経営者なので、お悩みがよく分かるというところもあります)

小規模事業者の支援では、事業者さんによって求めているものの幅が広いため、相手にとって何がベストか、ということの見極めが重要です。また、必ずしもITのツールが必要ではなく、まずはアナログな部分の対策が必要なことも多いです。

より良いコンサルティングができるよう、事業者さんの発展に貢献できるよう、日々精進を重ねていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。